日本一速い男を 支える男

VOL.285 / 286

髙橋 紳一郎 TAKAHASHI Shinichiro

有限会社ホシノレーシング 工場長

1963年生まれ。東京都港区出身。トムスを経て20代前半で有限会社ホシノレーシングへ入社。入社以来30年以上の長きに渡り星野一義氏を裏で支え続ける。ホシノレーシングが御殿場ファクトリーへ移転してからは工場長を任命され、レースの現場では星野監督に代わりチームをまとめる名参謀を務める。

HUMAN TALK Vol.285(エンケイニュース2022年9月号に掲載)

「日本一速い男」星野一義氏をメカニックとして30年以上の長きに渡り、裏で表で支え続けてきた髙橋紳一郎氏。
勝利を義務付けられたチームをまとめる氏のレースや星野氏への思いに迫った。

日本一速い男を 支える男---[その1]

 私の生まれは東京の三田でそれから千葉の市川へ引っ越して。高校は五反田にある普通高校で特に工業高校などでもなく、自動車への興味もその頃の普通の高校生と同じくらいだったかな。卒業してからは別に自動車整備の専門学校に行くわけでもなく、なんとなく日産のディーラーにメカニックとして就職しました。だからメンテナンスに興味を持ったのはディーラーメカになってからなんです。
 当時働きながら夜も飲食店でアルバイトをしていて〝僕ちょっとレースに興味があって〟なんてお客さんと話をしていたら京都のレーシングガレージを紹介してくれて・・・。で、その時たまたまそこは人を募集していなくて、代わりにそこからトムスを紹介してもらったんです。それまで私トムスの名前も知らなかったんですよ(笑)。レースのチームなんてディーラーの週報に載っていたニスモと東名スポーツくらいしか知らなかった。実際レースってどんなことをやっているのかも知らなかった。怖いもの知らずだよね。

1990年代前半はR32 GT-RでGr.Aを席巻した(本人一番奥)

なんとなくレースの世界へ

 トムスに入ったのは22歳か23歳の頃かな。レースのこともよくわからずトムスに入り、そこで色々メカニックとしてのノウハウを学んでいったんです。車いじりの楽しさだけでなく、正確性やボルト1本の重要性を覚えたのはトムスに入ってから。
 最初の頃なんて小僧だから下働きですよ。タイヤのカスを取ったりインタークーラーの目の歪みを直したり、掃除をしたり。全部がとにかく初めてだもの。溝のないタイヤを見るのも、そのタイヤがサーキットを走った後は触れないほど熱くなるのも、無駄なものが何一つない車を見るのもとにかく初めてづくしで、その全てが格好良く見えたんです。〝全部すげえな〟って思った。だからカテゴリーに関係なく、とにかく早く任せてもらえるようにチーフになりたいなって、根拠もなく〝日本一のメカニックになろう〟って思うようになっていた。「WECスペシャル」だなんだって結構いろんな車を造ってたから、2日か3日くらい寝ないで仕事するのが普通だった。今じゃ考えられないけどね。レースの世界は結局休めないんだってことは入ってからわかった(笑)。でもとにかくそのカッコいい車に触れるのが嬉しくて、心が折れることはなかったですね。

クルマ造りって楽しい

 何か造り物をさせてもらえるようになったのは2〜3年くらい経ってから。なんでも造ってましたよ。それを覚えるのが楽しくて。アルミの板を折って、リベットを打って、溶接でくっつけてグループCカーを造ってしまう時代だから。そういう意味では全て新鮮な驚き。それをだんだんと造らせてもらえるようになるんだけど、最初はやっぱり失敗してばっかり。失敗して造り直してを繰り返して覚えていく。そんな貴重な経験をさせてくれたんだからありがたいですよね。
 今のレースメカニックは〝交換屋さん〟だから。「だって、モノが無い」ってメカさんが言っちゃうからね。ちょっとした折り物や削り物なんて作ればいいのにって思うけど、「○○○○○からモノが来てないから発注書書いてください」ってね、言うわけ(笑)。割と今それが普通になっているから、効率を考えたらその方がいいのかもしれないけどさ。いざモノが届いた時にそれを見て「これじゃ壊れるんじゃないか?」って気付かないんだよ。造ったことがないからわからない。自分達で造っていればさ、〝ここが弱いかな、やっぱクラック入っちゃったな〟とかわかるし、モノを造っていればこそちゃんと見るし、点検もするし、トラブルが起きた時に原因の想定が的確にできるんですよ。エンケイのホイールだってね〝ここまで肉抜いて平気なんだ〟ってその技術の素晴らしさに気付くことができるわけ。
 トムスでは2年くらいでチーフになって、それからチーフとしてまた2年くらい働いてからホシノレーシングに移ったんです。ホシノレーシングがセルモから独立して埼玉に工場を持つというのでスカウトされた先輩から「髙橋も一緒にいかないか」と誘われて移ることになったんです。その頃は星野(代表の星野一義氏)の全盛期だったから〝ホシノレーシングに行ける、星野さんの元で仕事ができる〟ということが嬉しくて、トムスを辞めることのためらいよりも期待の方が大きかったですね。星野がまだキャビンで走っている頃だから、もう乗ればなんでも勝っていた時代、その人のチームに入れるってことでもうワクワクドキドキですよ。 

ホシノレーシングが採用しているエンケイ製ホイール「RA044」

HUMAN TALK Vol.286(エンケイニュース2022年10月号)に掲載

日本一速い男を 支える男---[その2]

 ホシノレーシングに入るまで社長(星野一義氏)と面識はなかったですよ。だってトヨタトムスのつなぎ着てるメカニックがさ、(ニッサンの)星野さんとは話せないですよさすがに(笑)。
入ってからの担当はメインはグループA、スーパーツーリングなどの箱モノで、たまにF3000も手伝いに行ってたかな。でもグループAにしてもスーパーツーリングにしてもテストが多くて、年がら年中走ってたよ。その時はいつも社長に帯同してたから、休みなんて年に5日くらいだった。何であんなに働いてたんだろう。オフシーズンは来シーズンに向けて新車を作るからさ、やっぱり休めないし。
 それからずっとホシノレーシングだけど1回だけ辞めたことがあって、JTCCの最後の年に独立したんです。でも一人だとやっぱりマンパワーが足りなくて、2年くらい経って結構厳しいなと思ってた時に金子さん(故 金子豊氏)から連絡が来て「お前なにやってんだ、もう一回うちでやれ」って言ってくれたんですよ。それでもう一回ホシノレーシングに入って今に至ると。だからもう30年くらいですね。

速いことへの執着心

 社長はね、タイムや結果が出なかったりするともうすごいんだよね、怒り方が。本気度が違うからさ、自分への怒りもあるだろうし、こっち側のミスもあったりするわけですよ。ポールポジションから独走していても現場のミスでリタイヤとかあるじゃない。そんなことがあったらもうそれなりに・・・大変だったから(笑)、それに輪をかけて金子さんも怒るからもっと大変みたいな(笑)誰も止められない。そんな時はもう逃げてましたね、車の下に潜って整備するフリをして、嵐が過ぎ去るのを(笑)。
 社長は常に本気だもんね、手を抜くことをしないから。だからミスをしないようにこっちももっと気をつけようとなる。だって走れば勝てるんだもん、出れば勝っちゃう、すごいよね。やっぱりたくさん乗ってるからじゃないかな。あとはトップ独走ってプレッシャーが掛かるんですよ。追っかける方がまだ楽だと思うけど、ぶっちぎって逃げるってすごく大変。24時間走るなら24時間走れる走り方をしなきゃいけない、ギアやエンジンが壊れないように走らなきゃいけない。タイヤもエンジンも安定するようマネジメントして乗らなければいけないんですよね。そういう経験がすごくあるから勝てる乗り方、勝てる車がわかるんじゃないかな。ビリしか走れない人って遅い車しか造れないけど、社長はもう1、2ランク上のところを見てる。だから求めるものはいいものを求めるし速さに貪欲になるんですよ。勝つために最低限揃えなくちゃいけない物事のレベルが高いんです。

SUPER GT GT500 Class 12号車 カルソニック IMPUL Z

常勝チームの作り方

 今の私はレースの現場では社長と連携をとりながら現場の監督的な役回りを担っています。自分が何をするかというよりもメカニック含めた全てのスタッフがパフォーマンスをしっかり発揮できるか、チームとして成長しているかなんてことに気を配っています。昔の私たちのような働き方を今の若い人に強いても時代に合ってないからダメなんですね。それこそ1年も持ちませんよ。今は一人ひとりの特性をちゃんと見て、その人に合った教え方をしないと伸びない、ということを上に立つ30代、40代のベテランが認識しないといけない。「見よう見まねでやってみろ」という時代じゃないので、こちらの認識も変えないと若手が育たない、イコールチーム力の向上につながらないんです。
 結局速い車を造り、レースで勝つためのコツって「ものを見る目」だと思うんです。小さいこと、細かい所に気付く目、観察する目ですね。データロガーやドライバーからのフィードバックを踏まえて自分達の車のどこが問題なのかに気付けるかどうか。トラブルが起きそうな箇所を注意深く見て事前に対処できているかどうかで起きるはずのトラブルが起こらなくなる、そんな事です。また他チームのウイングの角度一つ見てどんなセッティングと作戦で来るのかが予想できるとか、情報はいくらでもそこら中に転がってるわけです。スタッフ全員がそんな目を持って細やかに観察して対応していると、物事の精度がどんどん上がってチームとしても速くなる。そのような事を若いスタッフを始めとしたこれからを担う人達に伝えていきたいですね。それが常勝チームのプライドとなって受け継がれていくものだと思います。

予選を走ったドライバーからの意見に耳を傾ける

チームの動き全体に目を配る

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